父が死ぬまでに話した、奇々怪界な世界。 緩和病棟の素晴らしさ、そして姉は父の死を1年前に予知していた。

こんちは、チセです。

最近は猫ブログじゃなくて不思議ブログになりつつありますが、私的に「いま」残して置きたい気持ちが強く、ごちゃまぜブログになりました。スイマセン…

生まれた時から、死に向かい生きる私たち。

時間は命です。

それぞれに時間を使い、生き逝くのだと思います…私が1番すきな時間は、何も考えずにダラダラと猫とイチャイチャする事です!!

✧父の病気は「胃がん」

私の父は、定年まで働いて、やっと年金生活で好きな事ができる!と言っていた矢先

「何か、最近腹が悪い…刺身はいらん」

とか、言ってて咳もしていて変な乾咳を無理矢理、咳を出す感じで。

顔色も日に日に、ドス黒く、唇はカサカサで白い…これは、明らかに変だなと思い。

私は、病院行ってきなょ!と何度も言って

でも、なかなか行かない…何日か経過して私は「その咳、おかしいし、そんなずっとお腹痛いのも変よ!」とケツを叩き近くの胃腸科をススメました。

胃カメラを飲んだらしく。

胃腸科の先生は、すぐに「大きな病院で、精密検査をすぐに、お願いします」と。

自分の胃の中の写真を見た父は…

「胃の中が、ホルモンだらけやったぞ」と

癌が、めいいっぱい広がっていたんです。

紹介状をもって、国営病院へ検査入院すると夕方、家族が呼ばれ

「見てください。肺と胃、それと骨、肝臓…」

全身転移していたんです。

私は、そうだろうと思っていたので、すぐに父の顔を見ました。

父も覚悟は、していた様子で

「もぉ何もしなくていいです。延命は望みません」ハッキリ先生に伝えていました。

当時、私は違う病院に勤務をしていたので、勤務先の看護師さんたちに話をして「緩和ケアの進んでいる病院を探して欲しい」とお願いしました。

すると、すぐに「〇〇記念病院」があるよ!

と教えてもらい。

その日のウチに、父の入院していた病院のソーシャルの方に「〇〇病院に転院を希望します」と家族の気持ちを伝えました。

父には「死ぬまでに痛みとか、辛いとか、嫌な事ぜんぶ緩和してくれる病院があるんやけど、そこ行かない??」と正直に話ました。

父は「ほーっ!そんな病院があるんか?お父さん、そこに行きたいわ」ってすぐに了解してくれて…そこは、複雑な気持ちだけど。

その頃、痛み止めは何故かロキソニン。胃がんで末期の人にロキソニンです、他にないですか?と言っても末期患者にロキソニンしか出してくれなかった。

父は、ウトウトしながら「ハッ」と目を覚まし私に真剣な顔で言ってきました。

「3」「10」 「4」この数字が目の前に出るそしたら、物凄く気分が悪くて吐きそうになる…デジタル時計みたいに数字が動いて、その数字で止まると。何度も言ってました。

父の死んだ日は4月30日の午前10時。

そして、「何かな?この字は…」

「春、誉める、祐一の祐、信じる、お父さんの名前の啓 」これは

お父さんの昔の名前んごとあるで!!

それは、父の位牌に書かれている字でした。

そんな後々になってから、わかる事を毎日

空中を見ながら話てくれました。

たくさん沢山、あの世の話をしてくれました絵も何枚か描いていたので載せてみます。

あの世で待つ坊さん

ボロボロの袈裟を来た、お坊さんがいっぱい並んでから、お父さんは先に行きたいのに、お祭り騒ぎをして太鼓や笛で踊りよるで!邪魔ぁ~って言うに囲まれてから動けんよ。

あの世を見た父の絵

なにをしよんのかね、坊さんたちは…とか

門があって、そこに何人も並んでる、なかなか進まない…上を見上げると「雲」いや雲みたいに浮いてるけど、「鼻」「口」「目」

「耳」大きなもんが、浮いてるわ…とか

また、これもご丁寧に絵まで書いてくれました。

この絵達は私の宝物です♡

あの世を見た父の絵

そんな感じで、最初の病院に何日か入院して

すぐに転院は出来たけど、緩和病棟の部屋数は少なくて、順番待ちの状態でした。

2週間ほど、リハビリ病棟にお邪魔させていただいて。やっと緩和病棟へ行ける事に

✧緩和病棟ってね。

荷物を持って、1番天国に近い病棟…最上階が緩和病棟です。

エレベーターが開いた瞬間、家族や親戚が泊まれる和室が3部屋あり、その隣には広い温泉施設、窓の外は海が目の前で朝日が毎日みれます。

みんなで使える、キッキン、冷蔵庫、食器、アイスはご自由にと至れり尽くせり。ここの大きな窓からは、山が見えて夕陽が沈むのを見れます。花火も野焼きも見れますよ

そして部屋は個室、冷蔵庫、テレビ、コーヒーお茶セット、ベッドになる家族が寝るソファーとトイレです。

ここで、ゆっくりと逝く覚悟をして最上階に嬉しそうにエレベーターで上がってきた父の顔は、やってやる!ちゃんと死ぬぞって「死」と正面から向き合う気持ちでみなぎっている様でした。

*緩和ケアの始まり

下のリハビリ病棟にいる時から、モルヒネを少しづつ継続して流していました。

だんだん骨の転移が広がっていたせいか座ると「自分の腕が重くてちぎれそう」と言ってたけどトイレは自分で行ってた。

そんな中でも父は、「お父さんの葬式には、〇〇ちゃんと、〇〇はおらんなぁ」

「〇〇ちゃんは、赤ちゃんが出来るで」

「この青年は誰や?家に来て何しよる?」

とモルヒネの影響で、ずっとそんな独り言を言ってましたが…父の言っていた事すべてが死語、現実になりました。

最後の1週間は、痛みとの戦いだったのでモルヒネと座薬の両方で緩和をしてもらいました。

痛みがくると、網の上で焼かれる焼きイカの様に手足がうねります。目は開かないけど顔が「ぎゅーーっと」縮こまり痛そうにします

父のその合図で、すぐ看護師さんにモルヒネ増量と座薬をお願いします。

先生が、後2日くらいですね…と言われた時には、もぉ目を覚ます事はない程の薬を入れてました。

なのに、父は私たちに何かを伝えようと痛みのある身体に意識を戻してきたんです。

死ぬ何時間か前に、私は父の手を触ったりしながら、ずっと見ていました。すると指先が「ピクっ」と動き、目をパカッと開けたんです!!

絶対に痛いのに、起きたらダメなのに戻ってきたんです。

チカラを振り絞り、骨と皮だけになってる身体をムクっと起こし、私の目を見て手を差し伸べ…声にはならない大きな声を出し「ウォーーーっ!」て最後に叫び、またパタっと倒れました。

私は、先生に「もぉ戻ってこないくらい眠らせて下さい」とお願いすると先生は…

「 意識が戻らない量をすでに入れてます。

たぶん、何か伝えたくて戻ってきたんだと思いますょ」と言われました。

看護師さんに聞いても、意識が戻るのが信じられない…と言われました。

父が最後に何を伝えたかったのかハッキリはわからないけど私は「もぉ逝くぞーっ!もぉ死ぬからなぁ!!」て言ったような気がしています。

*死後の処置で

そんな出来事があって次の日の朝、最後

息を大きく吸って、「ふぅ」とため息の様に吐き出し止まりました。

看取りの時は、母、私、娘、私の姉、姉の息子の5人で、管なんて1本もなく、酸素マスクも外し、ベッドで静かに家族だけの時間をずっと共にした命の時間でした。

母とは最後これなら家で看取れたかもね…

なんて会話をして

「もぉ息してないね」って先生を呼びに行って確認してもらい、それが「10時」ちょうど。

それから、まだ温もりのある父をストレッチャーに乗せて、お風呂に…

みんなで裸ん坊にして、みんなでお風呂に入れてあげてシャンプーしてリンスしてヒゲ剃って、綺麗にしたら不思議な事に

父の顔は、みるみる鼻が膨らみ口角が上がってニヤニヤとしている表情になったんです。

葬儀屋さんが迎えにきて、エレベーターで2階に下がり、亡骸専用出口に向けて進んでいた、その時に!!

✧姉の予知夢

私の2歳年上の姉が言いました。

「ここや!この廊下!あの扉!!」

姉は、ずっと最初に入院していた病院で

「この病院じゃないょ…死ぬとこ」って

言っていて、次に来た この病院も「なんか違う景色」と言っていたんです。

だから、この病院で父が死んで景色が違うなぁって少し腑に落ちない感じの話をして

最後の最後で「この場所ゃこの景色、あの扉でたら左側に駐車場あるやろ右が下りで」と

姉は、1年前に夢を見ていたんです。

父が、その廊下を歩いて進んでいるのだけど姉は「そっちは嫌な感じするから行かないで」と…でも父は言う事にを聞かずに扉を開け、茶色のトレンチコートをバサっとひるがえし満面の笑みで外に出た。

そんな夢だったらしく。その場所がまさに父を病院から出していく道だったんです。

私は、すかさず母に「茶色のトレンチコート」見覚えある?と聞くと、結婚して熊本に移住する時に買ったコートよ。

それを着て、列車に乗ったの…

まだ家にあるよ、探したらあるよ。って

私は、葬儀場にいかず家に帰って、押入れをあさりブリキの衣装ケースの1番下にあった茶色のトレンチコートを見つけて、葬儀場にもっていき、父の遺体の上に起きました。

もちろん、棺にも入れてあげましたよ。

父の顔は、次の日もニヤケて自慢げな顔をしていました。

「俺は、ちゃんと死ねだぞ!お前たちも、ちゃんと死にきれるか??俺は、凄いだろ」って言っているようでした。

生前、父と死について たくさん話をしてたので2人で合図を決めようと約束していたんです。

もし近くにいて気づいて欲しい時、何か知らせたい時は「髪の毛を2、3回ひっぱって」と

お葬式が終わり、骨を家に持ち帰り、ホッと肩を撫でおろして家族で話をしていたら、私の髪の毛を「ピンピンピン」と3回…合図してくれました。

なんとも嬉しくて、ちょっと怖くて、安心したのを覚えてます。

その日の夜は、姉も母も猫たちも父の存在を感じる出来事がありました。

私は、仕事柄たくさんの「死」を見てきましたが…父の死に様はカッコ良すぎ!!と今でも思っています。

そして、死んで3年が経過した頃に

「私は、ファザコン」だったのかも…と気づいてしまいました。

遅すぎますね。。。今は毎日、仏壇に手を合わせ父と会話しているつもりです。

最後に、まだ緩和病棟に行く前

父に、少しづつモルヒネが入りだした頃「死」を思い書き残した心の声を載せて置きます。

誤字脱字が多いですが…

死を覚悟した父の書記

のこりの人生、笑いながら いこうな。。。ここが私は大好きです!

父は、自分の「死」を覚悟してからピッタリ3ヶ月で、この世をさりました。

最後まで読んでいただき

ありがとうございます。


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